あえてCRーXとは言わないバラードのミーティング
今回は、そんなイベントのお話しです。以前にもデルソルのミーティングでも開催地になったのですが、今回のバラードスポーツのイベントでもそのような扱いで集合のようです。”バラードスポーツ”主催者曰くあえてCR-Xの名は使わない。そういうイベントであります。
とてもいい時代に生まれたクルマは愛されている
コレクションホールでは、設計者である繁氏のバラードスポーツのアイコンともいえるヘッドライト周りの話から中心に話していただき、後半の川田氏はエンジン回りで、当時行われたバルブ設計の話をスライドで紹介。スイングアームバルブからのちのVTECに至るお話を伺いました。
当時、川田氏はレース車両も手掛けており、その時に今だからこそ話せるシティのレースが中止にならざる得なかった理由(実はとんでもなく危険なことが判明)等笑いをまじえながら話していただきました。余談ですが、この頃のシビックのレーサーはナンバーがつかない代わりに非常に破格で販売されており年間100台は売れていたそうです。
繁氏も、このときのさまざまな車両の設計を手掛けたという話をされ、実際にその手がけた車両の一覧からもその多さが見て取ることができました。現在は、多くの場合で1台のシャーシあるいはプラットホームで数台の車両が作られ、あるいはバッジエンジニアリングといった外装の一部を変更したものが多数見受けられます。
しかし、この当時はほとんどの場合は1車種1設計といった状態であったようです。実際に、このバラード=シビックに関しては5バリエーションのそのすべてが別設計であったそうです。そうした時代背景の下、生まれたバラードスポーツ。その前身は、もともと低燃費構想の空力優先の車両コンセプトから生まれたようです。開発の途中で、その素性の良さから、これはもうスポーツカーのものではないかという方向性に変わりバラードスポーツとして世に送り出されたのです。かくして生まれたバラードスポーツ。時とともにその数は少なくなったとはいえ、愛好者やオーナーはこうしていまも走らせ続けているのです。
細部にわたるまで作りこまれた車体
そしてBピラーの後ろからスローブを描くサイドウィンドウは、一見平面のようですが実はBピラーの中へ巻き込むような形に局面を描いて中へ入っています。繁氏の解説によれば、当時バラードは3ドアハッチ、セダン、5ドアハッチ、シャトル、そしてスポーツと5種類のラインナップがあり、そのどれもが別設計。別シャーシ!というものでした。現在、クルマの車体のほとんどが、同じシャーシやプラットフォームをベースにラインナップが構成されていますが(一部を除く)、同系列の車種がすべて別設計というのは、いかに贅沢な作りであったかといえるのではないでしょうか。
筆者もまた、その時にこのHONDAの聖地に足を運ぶことができればと思いつつ絵描きの旅を続けます。
イラストなどのお問い合わせは、こちらからhttp://www.d5.dion.ne.jp/~take-abe/
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