三菱初の量産乗用車「三菱 500」発売50周年の記念イベントを開催

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【三菱】2010/07/30

 

三菱 500 スーパーデラックス

戦後復興期の国民車構想に応えた、大衆のための乗用車「三菱 500」

三菱 500を囲み握手を交わす三菱500オーナーズクラブ 片山 章一 会長(左)と三菱自動車 益子 修 社長(右)

三菱 500を囲み握手を交わす三菱500オーナーズクラブ 片山 章一 会長(左)と三菱自動車 益子 修 社長(右)

 三菱自動車工業は、「三菱 500」の誕生50周年記念イベント『三菱500 50th Anniversary』が都内・三菱本社ショールームで行われ、三菱500オーナーズクラブのメンバーや三菱自動車 益子 修 社長などが祝った。

三菱 500は、同社の前身である新三菱工業が1960(昭和35)年に発売を開始した初の量販小型乗用車。当時の通産省が自動車産業育成の目的で打ち出した「国民車構想※」に基づき造られたモデルで、戦前に零式艦上戦闘機(通称"ゼロ戦")を始めとする数々の航空機を設計したエンジニアたちの手により構想されたものだ。同じく飛行機メーカーから発展した富士重工業の軽自動車「
スバル 360」(昭和33年~)に続く国民のための本格的な大衆車第2弾として、当時の新聞各紙にも大々的に取り上げられるなど、華々しくデビューを果たした。大人4人が満足に乗れるサイズということで、あえて当時の軽自動車規格より大きなボディサイズや500ccのエンジンを搭載するなどし、さらに機能重視の先進的な内外装が与えられた。価格も39万円(全国統一)と、大ヒットしたスバル 360よりも安いものだった。
しかしそのプロセスは決して順風とはいかなかったようだ。1959年10月の東京モーターショーでの披露を目前にした9月、生産工場のある名古屋製作所大江工場(愛知県)を、当時中部地方を中心に甚大な被害を及ぼした伊勢湾台風が襲い、三菱 500の試作車や生産設備などが冠水(ショーまでに突貫作業で展示車は造り直したという)。さらに発売後も、税制上有利な軽自動車規格に収まらないことや販売網の弱さ、当時のユーザーの嗜好にはマッチしない、先を行き過ぎた先進的な(理想主義的な)スタイリングなどからヒットには至らず、月販1000台規模の生産計画に対しても3年間で約13,000台の販売に留まった。

三菱 500 リアビュー

写真は、1961年にマイナーチェンジで排気量を600ccに引き上げられ定員も5名とした「三菱 500 スーパーデラックス」。

三菱 500 インテリア

簡素なインテリアはかつての航空機エンジニアが設計を手がけた。どこか戦闘機のシートに似ているのは偶然ではないだろう。

三菱 500 NE35A型 594ccエンジン

リアに積まれた594cc空冷2気筒4サイクルOHV「NE35A」型エンジンは、最高出力25ps/4800rpm、最大トルク4.2kg-m/3400rpmを発揮し後輪を駆動する。
※国民車構想の大まかな規定(通商産業省:当時)
:1.最高速度100km/h以上、2.定員4名(または2名+100kg以上の積荷)、3.60km/h定値燃費 30km/L以上、4.10万キロ以上の耐久性、5.販売価格25万円以下、6.排気量350~500cc・重量400kg以下
(国民車構想[国民車育成要綱案]が示された1955年当時の技術力では相当に困難な要件であった)

三菱OBの開発・宣伝担当者などが当時の想いを語る

三菱 500 スーパーデラックス
 「三菱500 50th Anniversary」記念イベントでは、当時設計・開発や宣伝に関わり、三菱500オーナーズクラブのメンバーとなった三菱自動車のOBが登場し、三菱 500にまつわる数々の秘話を披露した。実際に三菱 500の開発に携わったひとりは、零戦戦闘機などに積まれた空冷星型14気筒エンジンの設計を継承する空冷2気筒エンジンであることを始めとして、車体設計やサスペンション、シートに至るまで航空機の技術がふんだんに盛り込まれていることを誇った。そのいっぽうで、当時の宣伝・広報のメンバーは、販売面が振るわなかった点に対し「善戦全勝ではなく苦戦苦闘だった」と語り観客の笑いを誘った。
三菱500オーナーズクラブは1987年12月に発足。国内でわずか21台が現存すると言われる三菱 500のうち、10台がメンバーの有する車両だという。会長の片山 章一氏は、中学生の頃に町で見かけ衝撃を受け、その10年後、実際に三菱 500を手に入れ「程よい大きさ、シンプルな造り、一体感ある走りに感銘を受けた」と話す。
三菱自動車の益子 修 社長は今回の50周年をきっかけに、改めて三菱500について勉強したという。敗戦後航空機の生産を止めてクルマ造りへ取り組んだ先輩たちの想いに触れ「強い意気込みや情熱を知る良い機会を得たことに感謝するとともに、その想いに恥じないクルマ造りをしていきたい」と語った。

三菱 500 フロントサスペンション

三菱 500のフロントサスペンション(写真)の設計の元となったのは、飛行機前輪(ランディングギア)のサスペンション形式! 当時としては非常に乗り心地が良かったという。

三菱 500 フロントノーズのマスコットは給油口を兼務

フロントボンネット中央にあるマスコットは給油口を兼務している。三菱 500のガソリンタンクはフロントのノーズ上部に積まれているのだ。

三菱 500 フロントグリル

フロントグリル風のパネルは開閉式で、中にはスペアタイヤとジャッキが積まれている。

[Photo:CORISM編集部]

車名 三菱 500 スーパーデラックス[RR](1961年8月~1963年4月)
ボディサイズ[mm](全長×全幅×全高) 3140×1390×1380mm
車両重量[kg] 490kg
総排気量[cc] 594cc
エンジン NE35A型4サイクル 強制空冷 直列2気筒 OHVエンジン
最高出力 25ps/4800rpm
最大トルク 4.2kg-m/3400rpm
定員[人] 5人

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(レポート:admin

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